体験その3 ジュディス・カーペンターさんのシッティングを受ける
2015年 10月 04日
体験その3
ジュディス・カーペンターさんのシッティングを受ける
(2014年7月19日から9月23日に開催されたメトロポリタン美術館 古代エジプト展 女王と女神」)
2015年8月10日(月曜日)、ジュディス・カーペンターさんのシッティングを受けました。
本日は、体験その3を書いてみます。
*体験その1
ジュディス・カーペンターさんのシッティングを受ける
*体験その2
ジュディス・カーペンターさんのシッティングを受ける
(関連の記事)
*ジュディス・カーペンターさんのおでこについて
ジュディスさんは、もう一つの伝えられてきた映像に移りました。
ジュディス、以下Jと記します。
J「エジプトです。今度は全くちがう場面です」
私「神殿でしょうか?」
J「そうです。ファラオに仕えています。そのファラオの名前もわかります。ちょっとお待ちくださいね…」
そう言って、私が仕えていたファラオの名前を受け取っているように見えました。
そのファラオの名前は、
J「ハトシェプスト」と言っています。
通訳の女性が、「ハトシェプスト」の「プスト」というところが言いにくくて、二度ほど言い直しました。
「ハトシェプスト」といえばそのお顔は知っているような気がします。昨年、古代エジプト展に行き、242ページもあるカタログパンフレットを購入したのですが、その表紙を飾っていた女王さまです。
J「あなたは、この神殿で特別のヒーリングを行っています。太陽の光を取り入れたヒーリングです。
訓練の必要なヒーリングのようです。いくつもの部屋があり、そのそれぞれの部屋でヒーリングを行っています」
エジプトでエジプト人として8回生まれた私がジュディスさんによって、くっきりとしてきた瞬間でした。
ジュディスさんのシッティングを受けてほんとうによかったと思います。
ジュディスさん、ありがとうございます!
*補足 シッティングの方法は、ジュディスさんに限らずそうだと思いますが、こちらから○○について知りたいというのは、時間がかかるらしいです。
限られた時間のなかで、それも異国の状況のなかで日本のこみいった時代や名前などを知りたい人には不向きかもしれないと感じました。
あくまでも、そのとき、伝えられる情報に意味があるという考え方でのぞまれるといいのではないかと思います。
その後知ったこと、
そしてあらためて確認できたことなど。
*ハトシェプスト女王さま 「最も高貴な女性」という意味。即位名はマアトカラー=真実とラー神の魂。
*ハトシェプスト女王さまは第18王朝5代目のファラオ。父はトトメス一世 母はイアフメス 夫はトトメス二世 娘はネフゥルウラー。
*夫のトトメス二世は亡くなるときに、妾腹の息子を次の王にと遺言する。その息子がトトメス三世になる。
*このトトメス三世はハトシェプスト女王さまが生きているときは、影の薄い存在だったが、王女さま亡きあと、女王さまの威厳を著しく傷つけた。
*ハトシェプスト女王さまのすぐそばで予言者でもある神官として、ヒーラーとしてお仕えした私は、女王さまより少し先に死んでいます。
*ハトシェプスト女王さまが亡くなられたとき、ひどい扱いを受けられたことで傷ついた女王さまの魂を感じます。その魂を癒やしてほしいという思いも伝えられてきているように感じます。
*女王さまからの伝言「いろんなことを思いだしてほしい」。
*ハトシェプスト女王さまにおつかえしていた時代にもまた、私はハトホル神ともつながっていました。
*私がエジプトに接近しはじめたのは、ハトホルさんとの出会いを通してでしたが、これまでエジプトについては敬して遠ざけていたようなところがありました。ただ、ベリーダンスを見るのは好きだったり、幾何学模様の帯をしつこくほしいと思ったりする自分を不思議に思ったりしていました。
*すすめられた「カイロ・タイム」も何度も見ました。
*しかし、これまでエジプト展はもちろんミイラについては近づかないでいたのでした。「ハトシェプト女王」さまのミイラが、とんでもないところで発見されたりしたこととも関係があるのかもしれません。いつか、一気に思いださなければいけない、その日がくるまで封印していたように思います。
*昨年の「女王と女神」展で、エジプトに急接近。さらに、この夏、ジュディスさんから私がお仕えしていたファラオの名前をうかがったとき、すべての点が線になって動きはじめたような気がしました。
私のエジプトの旅は始まったばかりのような気がします。
「いろんなことを思いだしてほしい」
ハトシェプスト女王さまの言葉がきょうも聞こえてくるようです。
↓以下の記述からも、トトメス三世によって、いかに屈辱的な扱いを受けたかが伝わってきます。
(ハトシェプスト女王)
ハトシェプストのミイラ(Wikipedia)から
2007年6月、エジプト考古学庁のザヒ・ハワスは、1903年にハワード・カーターらにより王家の谷の「KV60」と呼ばれる小さな墓で発見された身元不明のミイラをハトシェプスト女王と断定した。
KV60には、棺に入れたミイラと、そのまま横たえられたミイラが2つあり、この状況から1990年までは、このミイラは重要なものであるとは考えられておらず、KV60に葬られたままになっていた。
しかし、ハトシェプストの名が刻まれたカノプス壺(別の場所で1881年に発掘)に入っていた臼歯とミイラの歯茎の穴をCTスキャンしたものが一致し、また既に確定しているハトシェプストの親族のミイラとの間のDNAの類似性が認められたことにより、KV60に葬られたミイラがハトシェプストと判明した。身長165センチ、太り気味で腰骨まで侵食した悪性腫瘍、歯周炎、関節炎、骨粗鬆症、糖尿病等を患っていた。歯周炎による抜歯のため感染した菌が全身を蝕み、約50歳で亡くなったという。
ジュディス・カーペンターさんのシッティングを受ける
(2014年7月19日から9月23日に開催されたメトロポリタン美術館 古代エジプト展 女王と女神」)
2015年8月10日(月曜日)、ジュディス・カーペンターさんのシッティングを受けました。
本日は、体験その3を書いてみます。
*体験その1
ジュディス・カーペンターさんのシッティングを受ける
*体験その2
ジュディス・カーペンターさんのシッティングを受ける
(関連の記事)
*ジュディス・カーペンターさんのおでこについて
ジュディスさんは、もう一つの伝えられてきた映像に移りました。
ジュディス、以下Jと記します。
J「エジプトです。今度は全くちがう場面です」
私「神殿でしょうか?」
J「そうです。ファラオに仕えています。そのファラオの名前もわかります。ちょっとお待ちくださいね…」
そう言って、私が仕えていたファラオの名前を受け取っているように見えました。
そのファラオの名前は、
J「ハトシェプスト」と言っています。
通訳の女性が、「ハトシェプスト」の「プスト」というところが言いにくくて、二度ほど言い直しました。
「ハトシェプスト」といえばそのお顔は知っているような気がします。昨年、古代エジプト展に行き、242ページもあるカタログパンフレットを購入したのですが、その表紙を飾っていた女王さまです。
J「あなたは、この神殿で特別のヒーリングを行っています。太陽の光を取り入れたヒーリングです。
訓練の必要なヒーリングのようです。いくつもの部屋があり、そのそれぞれの部屋でヒーリングを行っています」
エジプトでエジプト人として8回生まれた私がジュディスさんによって、くっきりとしてきた瞬間でした。
ジュディスさんのシッティングを受けてほんとうによかったと思います。
ジュディスさん、ありがとうございます!
*補足 シッティングの方法は、ジュディスさんに限らずそうだと思いますが、こちらから○○について知りたいというのは、時間がかかるらしいです。
限られた時間のなかで、それも異国の状況のなかで日本のこみいった時代や名前などを知りたい人には不向きかもしれないと感じました。
あくまでも、そのとき、伝えられる情報に意味があるという考え方でのぞまれるといいのではないかと思います。
その後知ったこと、
そしてあらためて確認できたことなど。
*ハトシェプスト女王さま 「最も高貴な女性」という意味。即位名はマアトカラー=真実とラー神の魂。
*ハトシェプスト女王さまは第18王朝5代目のファラオ。父はトトメス一世 母はイアフメス 夫はトトメス二世 娘はネフゥルウラー。
*夫のトトメス二世は亡くなるときに、妾腹の息子を次の王にと遺言する。その息子がトトメス三世になる。
*このトトメス三世はハトシェプスト女王さまが生きているときは、影の薄い存在だったが、王女さま亡きあと、女王さまの威厳を著しく傷つけた。
*ハトシェプスト女王さまのすぐそばで予言者でもある神官として、ヒーラーとしてお仕えした私は、女王さまより少し先に死んでいます。
*ハトシェプスト女王さまが亡くなられたとき、ひどい扱いを受けられたことで傷ついた女王さまの魂を感じます。その魂を癒やしてほしいという思いも伝えられてきているように感じます。
*女王さまからの伝言「いろんなことを思いだしてほしい」。
*ハトシェプスト女王さまにおつかえしていた時代にもまた、私はハトホル神ともつながっていました。
*私がエジプトに接近しはじめたのは、ハトホルさんとの出会いを通してでしたが、これまでエジプトについては敬して遠ざけていたようなところがありました。ただ、ベリーダンスを見るのは好きだったり、幾何学模様の帯をしつこくほしいと思ったりする自分を不思議に思ったりしていました。
*すすめられた「カイロ・タイム」も何度も見ました。
*しかし、これまでエジプト展はもちろんミイラについては近づかないでいたのでした。「ハトシェプト女王」さまのミイラが、とんでもないところで発見されたりしたこととも関係があるのかもしれません。いつか、一気に思いださなければいけない、その日がくるまで封印していたように思います。
*昨年の「女王と女神」展で、エジプトに急接近。さらに、この夏、ジュディスさんから私がお仕えしていたファラオの名前をうかがったとき、すべての点が線になって動きはじめたような気がしました。
私のエジプトの旅は始まったばかりのような気がします。
「いろんなことを思いだしてほしい」
ハトシェプスト女王さまの言葉がきょうも聞こえてくるようです。
↓以下の記述からも、トトメス三世によって、いかに屈辱的な扱いを受けたかが伝わってきます。
ハトシェプストのミイラ(Wikipedia)から
2007年6月、エジプト考古学庁のザヒ・ハワスは、1903年にハワード・カーターらにより王家の谷の「KV60」と呼ばれる小さな墓で発見された身元不明のミイラをハトシェプスト女王と断定した。
KV60には、棺に入れたミイラと、そのまま横たえられたミイラが2つあり、この状況から1990年までは、このミイラは重要なものであるとは考えられておらず、KV60に葬られたままになっていた。
しかし、ハトシェプストの名が刻まれたカノプス壺(別の場所で1881年に発掘)に入っていた臼歯とミイラの歯茎の穴をCTスキャンしたものが一致し、また既に確定しているハトシェプストの親族のミイラとの間のDNAの類似性が認められたことにより、KV60に葬られたミイラがハトシェプストと判明した。身長165センチ、太り気味で腰骨まで侵食した悪性腫瘍、歯周炎、関節炎、骨粗鬆症、糖尿病等を患っていた。歯周炎による抜歯のため感染した菌が全身を蝕み、約50歳で亡くなったという。
by spirituals-2
| 2015-10-04 10:56
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