雨の日の神楽坂…。
2013年 06月 21日
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きのうは、お茶の友だちで集う「茶友会(ちゃともかい)」がありました。
1年に4度。お食事をしてお買い物をして…というたのしい会です。
もともとは、同じ社中の仲間だったのですが、いまは、それぞれの道を行きます。初めての会は、益子焼きの窯元を訪ねました。以来、鎌倉に二度、秩父、海ほたる、谷中、飯能等々、神楽坂は二度目になります。場所と目的は問わず。もう、5〜6年にはなるでしょうか。
次は秋のはじめに元町・中華街に行くことに決定しました。
(もちろん、この会の人たちとは深いご縁があります。今回は、みんな女性に生まれてまいりました。この会が長くつづくことをわたしは密かに願っています)
ところで、仲間のSさんは、この神楽坂の茶寮で、2011.3.11の東日本大震災に遭ったのだそうです。そのあと、その日は駅に向かったものの、結局、池袋のホテルメトロポリタンのロビーの床で夜を明かしたのだとか。
怖かったわね、とあらためてあの日のことを話してくれました。
あの日、どこであの地震に遭ったのか。
Sさんのお話しを聞きながら、わたしもあの日のことを思い出しました。
わたしは、その日、珍しく(後にも先にもその日しかありませんが)早く家を出ました。お茶のお稽古に出かけるためです。早く家を出たので、普段より一本から二本早い電車に乗ることができました。
電車を降りて、いつもどおり、先生のお宅までタクシーで向かいました。
そして、いつものようにお手洗いをお借りしてお茶室に入ろうとしたその時間が14時46分だったのです。早く家を出たおかげでわたしはホームで途方に暮れることもありませんでした。いつもの時間なら、携帯もつながらなかったので、家から離れたところで立ち往生することもありませんでした。
なにかに護られて、この日だけ家を早く出たわたしが、家に帰り着いたのは夜中の1時ぐらいだったでしょうか。
同じ方向から車で通っている社中のOさんに、普段なら1時間で着く距離を6〜7時間かかって家まで送り届けていただいたのでした。
Sさんのお話しを聞きながら、あの日のことを次から次へと思い出していったのでした。他の方たちもしばし、沈黙。それぞれの時間を思い出していたのだとおもいます。